ご挨拶。
2005年1月1日新年、明けましておめでとうございます。
昨年中はたくさんの励ましの言葉ありがとうございました。
今年が皆様にとって良い一年になりますように
心からお祈りいたします。
さて更新が滞っているこの日記ですが、
色々と考えてみてもどうしても書けませんので
今日で終わりにすることにしました。
いつも読んで下さった方々や励ましてくださる方々には
とても感謝の気持ちでいっぱいです。
またいつか書ける日が来るかもしれないので
ここのIDは削除しないことにしましたから
またお会いできる日が来るかも知れません。
その時はまた懲りずによろしくお願いします。
なおHPはそのままですので
フォト日記は細々と更新していくつもりです。
良かったらたまには覗いてみてくださいね。
それでは皆さんお元気でお過ごしください。
さようなら。
昨年中はたくさんの励ましの言葉ありがとうございました。
今年が皆様にとって良い一年になりますように
心からお祈りいたします。
さて更新が滞っているこの日記ですが、
色々と考えてみてもどうしても書けませんので
今日で終わりにすることにしました。
いつも読んで下さった方々や励ましてくださる方々には
とても感謝の気持ちでいっぱいです。
またいつか書ける日が来るかもしれないので
ここのIDは削除しないことにしましたから
またお会いできる日が来るかも知れません。
その時はまた懲りずによろしくお願いします。
なおHPはそのままですので
フォト日記は細々と更新していくつもりです。
良かったらたまには覗いてみてくださいね。
それでは皆さんお元気でお過ごしください。
さようなら。
ココロ。
2004年12月6日ここに初めて日記を書いたのは2002年8月のこと。
まだ40歳だった自分が娘のような女性を好きになり
伝えられない想いを書いたのが始まりだった。
あれから2年と少し、色々あったけれど今日まで続いた。
不思議だね。飽きっぽい自分なのに。
でも意図的に自分の気持ちを書かなくなったのは最近のこと。
書きたいことはいっぱいあるのに書くことを止めてしまった。
毎日の出来事だけをただ淡々と書き込むだけになった。
自分の気持ちはずっと同じなのにそれを書くことが
誰かに迷惑をかけたり誰かを不快にさせるのがわかったから。
だからと言って自分が何か変わったわけではなく
ずっと前から何も変わらないまま今日も生きてる。
誰かをいつも心配したり、その言葉や文字に不安になったり。
励ますことさえ出来ずにただココロの中で想うだけの
臆病者で優柔不断なままの自分。
いったい自分の何が悪かったのか、何がいけないのか
何が足りないのか分からないまま、ずっとそればかり考えて。
悲しい、寂しい、ずっとそればかり言っていて。
笑うことももうすっかりなくなってしまってたし
ちょっとしたことに涙を流すようになっていた。
でも表向きは無表情のまま生活しているけれど。
今日は43歳の誕生日。
今迄で一番悲しい誕生日になりました。
まだ40歳だった自分が娘のような女性を好きになり
伝えられない想いを書いたのが始まりだった。
あれから2年と少し、色々あったけれど今日まで続いた。
不思議だね。飽きっぽい自分なのに。
でも意図的に自分の気持ちを書かなくなったのは最近のこと。
書きたいことはいっぱいあるのに書くことを止めてしまった。
毎日の出来事だけをただ淡々と書き込むだけになった。
自分の気持ちはずっと同じなのにそれを書くことが
誰かに迷惑をかけたり誰かを不快にさせるのがわかったから。
だからと言って自分が何か変わったわけではなく
ずっと前から何も変わらないまま今日も生きてる。
誰かをいつも心配したり、その言葉や文字に不安になったり。
励ますことさえ出来ずにただココロの中で想うだけの
臆病者で優柔不断なままの自分。
いったい自分の何が悪かったのか、何がいけないのか
何が足りないのか分からないまま、ずっとそればかり考えて。
悲しい、寂しい、ずっとそればかり言っていて。
笑うことももうすっかりなくなってしまってたし
ちょっとしたことに涙を流すようになっていた。
でも表向きは無表情のまま生活しているけれど。
今日は43歳の誕生日。
今迄で一番悲しい誕生日になりました。
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TRINITY。
2004年11月14日郡山でアイリッシュ・ダンスの公演を観た。
「TRINITY」と言うシカゴのダンスチーム。
アイリッシュ・ダンスでなんでシカゴ?と初めは思ったが
アメリカはアイルランド移民の子孫が結構居るので
それなりに活動も盛んなんだそうだ。
ちなみにチームのオフィシャルHP(英語)はこちら↓
http://www.trinitydancers.com/
内容は楽しめるものだったがいまひとつの部分もあった。
まずはアイリッシュ・ダンスと言ってもバレエや
その他の要素も取り入れた少しタップに近いものであった事。
自分は地元アイルランドに行って実際に観てきたので
その印象がどうしても強く迫力のあるものを期待していたのだ。
まぁ元々アイリッシュダンスには上半身は全く動かさず
脚の動きだけで踊るクラシックなものと
「リバーダンス」のように少しエンターテイメント性を
持たせたものがあるのは分かっていたが今回は後者だった。
もうひとつは舞台構成があまりにシンプルな事。
舞台は無地の背景にライトアップのみというもので
3人の演奏者を舞台袖に配置しライトの変化のみで踊っていた。
結構高いチケット代はいったいどこに使っているのだろうか?
ビンボーなポン吉はちょっと突っ込みたくなってしまう。
まぁそれでもダンスの脚捌きはさすがにすごくて
よくもまぁあれだけ動かせるなぁと感心してしまう。
そういえばアイルランドのスーパーの前で踊っていた
子供達の脚裁きももの凄かったのを思い出して
また直接観に行ってみたいと思ってしまったのだった。
「TRINITY」と言うシカゴのダンスチーム。
アイリッシュ・ダンスでなんでシカゴ?と初めは思ったが
アメリカはアイルランド移民の子孫が結構居るので
それなりに活動も盛んなんだそうだ。
ちなみにチームのオフィシャルHP(英語)はこちら↓
http://www.trinitydancers.com/
内容は楽しめるものだったがいまひとつの部分もあった。
まずはアイリッシュ・ダンスと言ってもバレエや
その他の要素も取り入れた少しタップに近いものであった事。
自分は地元アイルランドに行って実際に観てきたので
その印象がどうしても強く迫力のあるものを期待していたのだ。
まぁ元々アイリッシュダンスには上半身は全く動かさず
脚の動きだけで踊るクラシックなものと
「リバーダンス」のように少しエンターテイメント性を
持たせたものがあるのは分かっていたが今回は後者だった。
もうひとつは舞台構成があまりにシンプルな事。
舞台は無地の背景にライトアップのみというもので
3人の演奏者を舞台袖に配置しライトの変化のみで踊っていた。
結構高いチケット代はいったいどこに使っているのだろうか?
ビンボーなポン吉はちょっと突っ込みたくなってしまう。
まぁそれでもダンスの脚捌きはさすがにすごくて
よくもまぁあれだけ動かせるなぁと感心してしまう。
そういえばアイルランドのスーパーの前で踊っていた
子供達の脚裁きももの凄かったのを思い出して
また直接観に行ってみたいと思ってしまったのだった。
柿。
2004年11月8日樽抜き(渋抜き)をしていた柿の箱をあけてみた。
一つ食べてみたら凄く甘くなっていて美味しかった。
初めてで不安だったけれどうまく出来たみたいだ。
全部で約50個あるので頑張って食べねば。
会社にもいくつかおすそ分けに持っていこう!
一つ食べてみたら凄く甘くなっていて美味しかった。
初めてで不安だったけれどうまく出来たみたいだ。
全部で約50個あるので頑張って食べねば。
会社にもいくつかおすそ分けに持っていこう!
営業車。
2004年11月7日今日は陰謀で買わせた新しい営業車が納車される日。
販売会社が近いから自分で取りに行くことなっているので
今までの営業車からものすごい量の荷物を降ろし汚いまま乗って行った。
営業マンに説明を受けながら新車を見たがなかなか装備も良い。
と言うか今までが悪すぎたんだけれどね。
なにしろ間欠ワイパーすらなかったんだから。
今度はキーレスエントリーで鍵はもちろんサイドミラーの収納や
窓まで自動で閉まるしステレオもちゃんとCDが付いてる。
それにガソリン車だから静かで音楽も楽しめそうだ。
まだこの後自分でETCの機械を付けたり
またすごい量の荷物を積んだりと色々やる事はあるけれど
数日は荷物無しの軽い状態で新車気分を味わうとするかな。
販売会社が近いから自分で取りに行くことなっているので
今までの営業車からものすごい量の荷物を降ろし汚いまま乗って行った。
営業マンに説明を受けながら新車を見たがなかなか装備も良い。
と言うか今までが悪すぎたんだけれどね。
なにしろ間欠ワイパーすらなかったんだから。
今度はキーレスエントリーで鍵はもちろんサイドミラーの収納や
窓まで自動で閉まるしステレオもちゃんとCDが付いてる。
それにガソリン車だから静かで音楽も楽しめそうだ。
まだこの後自分でETCの機械を付けたり
またすごい量の荷物を積んだりと色々やる事はあるけれど
数日は荷物無しの軽い状態で新車気分を味わうとするかな。
収穫。
2004年10月28日今日、仕事を終え実家に行くと茶の間に段ボール箱が置いてあった。
中を覗くと真っ赤な柿がたくさん入っていた。
あれっ?と思い母に聞くと「あんたの家から採ってきたよ。」と言う。
うわっ、やっぱり・・・。やられたな・・・。
実は数年前に亡き父が我が家に勝手に植えていった柿の木が
今年初めて実を付けていたのだが、もう少し赤みが増してから収穫しようと
思っていたのにせっかちな母が一足早く収穫してしまったのだ。
あと数日先のことと思い楽しみにしていたのに・・・。
でもまぁ収穫してしまったものは仕方が無いので
ビニール袋の入れて早速樽抜き(渋抜き)をすることにした。
以前なら焼酎をヘタの部分につけて渋抜きをしたのだが
今は渋抜き用に固形アルコールが売っているのでそれを入れて
袋を密封して一週間から10日ほど置けば出来上がり。
箱の上に日付を書いて涼しい父の部屋に置いた。
果たしてはじめての柿は甘くなるのでしょうか?
すごく楽しみ!!
中を覗くと真っ赤な柿がたくさん入っていた。
あれっ?と思い母に聞くと「あんたの家から採ってきたよ。」と言う。
うわっ、やっぱり・・・。やられたな・・・。
実は数年前に亡き父が我が家に勝手に植えていった柿の木が
今年初めて実を付けていたのだが、もう少し赤みが増してから収穫しようと
思っていたのにせっかちな母が一足早く収穫してしまったのだ。
あと数日先のことと思い楽しみにしていたのに・・・。
でもまぁ収穫してしまったものは仕方が無いので
ビニール袋の入れて早速樽抜き(渋抜き)をすることにした。
以前なら焼酎をヘタの部分につけて渋抜きをしたのだが
今は渋抜き用に固形アルコールが売っているのでそれを入れて
袋を密封して一週間から10日ほど置けば出来上がり。
箱の上に日付を書いて涼しい父の部屋に置いた。
果たしてはじめての柿は甘くなるのでしょうか?
すごく楽しみ!!
第2回イベント。
2004年10月24日予定通りに9時に夏油スキー場に到着。
前回のイベントとは違い今日は雲一つ無い快晴だ。
風は少し冷たいけれど気持ちが良い程度だし
今日一日ずっと晴れそうな予報だった。
代表がスキー場の管理事務所へ行っている間に
みんなで車からカートを降ろし走行前の準備に入る。
混合ガソリンを作ったり空気圧を見たりした後
コースを考えながらパイロンを各所に置いた。
前回は雨のためにほとんど走れ無かったので
みんな今回が初めてのようなものだから
まずは慣れてもらうために自由に走ってもらった。
慣れない車高とスピード感に戸惑っていて
なかなか全開走行は出来ないでいたようだが
そこは車で遊んでいる連中なので
時間とともにそれなりに走れるようになってきた。
日が高く昇るにつれて気温も上がり
最高のコンディションになってきた。
みんなも前回と違ってとっても楽しそうで
ちょっとしたアクシデントはあったものの
夕方薄暗くなる4時半まで目いっぱい遊んだ。
自分も今年一番楽しかった一日だった。
結果はずっと1位だった自分が2位になってしまったのが
少し残念だがいよいよ世代交代が始まったのかと思うと
また次回が楽しみでもあった。
じーさんの引退は案外近いのかも知れないのな。
帰りはサービスエリアでお土産を買ったりしながら
すっかりと暗くなってしまった夜の高速道路を帰った。
またみんなで遊ぼうね。
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夏油温泉。
2004年10月23日今日はまたいつもの連中とカートで遊ぶイベントのため
岩手の夏油スキー場方面に向かって朝から出掛けた。
9時半に出発してノンストップで水沢インターに到着。
今日は移動だけで特別みんなでする行事は無いから
今まで何回もココに来ても一度も行っていない夏油温泉まで
一人で写真を撮りながら行ってみる予定にしていた。
スキー場との分かれ道を過ぎると急に道幅が狭くなる。
でも所々に待避所はあるので自動車を脇に停め
紅葉をカメラで撮りながら温泉まで着いたが
天気が良かったせいかかなりお客さんが来ていた。
でも到着した頃には雲も出てきて風もものすごく強かった。
ガードレールの外側から温泉を写していたら
風で崖から落ちそうになったり・・・。ブルブル。
福島もそうだが今年の紅葉は全然色付きが悪い。
色付く前に枯れてしまったり落葉したりしている。
夏油も例外ではなく時期を別にしても色あせているし。
部分的には良い所もあるのだが全体にはいまいち。
今年は去年のような写真は撮れないな・・・。
まぁ自然相手だからしょうがないね。
夏油温泉から宿のペンションの方に下りてきたが
朝から移動したせいもありまだ時間が余っていたので
そのまま宿を通り過ぎ北上市まで行ってみた。
思い出の場所を何箇所か回りながら時間をつぶしていたら
ようやく夕方になったのでペンションに向かった。
着いたのは2番目で後からもう1組来て全員揃った。
いつもどおりの美味しい夕食を食べて部屋に戻ったら
携帯に友達から不在着信が入っていたので電話してみた。
今何処にいるのか聞かれたので岩手だと伝えたら
「新潟じゃないのなら安心したよ、良かった。」と言われた。
「???」と思って聞き返したらに
地震で大変なことになっていると言う。
すぐにテレビをつけたらどのチャンネルもそのニュースを伝えていた。
自分は基本的に地上波のテレビは見ないので
宿に入ってからも一度もテレビをつけていなかったから
全然地震の情報が分からなかったのだ。
その後はニュースをずっと見ていたが
夕食時から普段飲まないお酒を飲んでしまったので
いつの間にかみんなより先に寝てしまっていた。
被災地の皆さんの一日も早い復興を心からお祈りします。
車庫。
2004年10月22日今、実家では玄関前のカーポートを新しくする工事をしている。
今日業者さんが新しいコンクリートを流し込んだのだが
その後の半乾きの状態をみて猫の足跡を付けたくなるのは
けっして自分だけではあるまい・・・。フフッ。
お祭り。
2004年10月10日今日は福島市の稲荷神社の例大祭に行った。
去年初めて夜に行ったら山車が見られたので
今日は少し早めに行って山車が駅前を出発する時から観ることに。
某ビルの2階のテラスにはたくさんの人が来ていたけれど
まだ少し余裕があったので写真が撮れる場所に陣取り
それぞれの町の山車が揃うのを待っていた。
出発式は初めて観たけれど結構たくさんあるんだね。
上からの眺めはなかなかのものだったよ。
写真をたくさん撮った後は稲荷神社に向かい
夜店でお好み焼きや焼きそばなどのお祭り定番物を買い
歩道脇でパクパクと食べた。
そして大好きなベービーカステラを買おうと思って探したら
今年は1件も出てなかった・・・。
がっかり。楽しみだったのに・・・。
来年は出てるかな。
去年初めて夜に行ったら山車が見られたので
今日は少し早めに行って山車が駅前を出発する時から観ることに。
某ビルの2階のテラスにはたくさんの人が来ていたけれど
まだ少し余裕があったので写真が撮れる場所に陣取り
それぞれの町の山車が揃うのを待っていた。
出発式は初めて観たけれど結構たくさんあるんだね。
上からの眺めはなかなかのものだったよ。
写真をたくさん撮った後は稲荷神社に向かい
夜店でお好み焼きや焼きそばなどのお祭り定番物を買い
歩道脇でパクパクと食べた。
そして大好きなベービーカステラを買おうと思って探したら
今年は1件も出てなかった・・・。
がっかり。楽しみだったのに・・・。
来年は出てるかな。
陰謀。
2004年10月7日会社で使っている営業車は某自動車販売会社から買ったもの。
自分が乗っているTちゃんもそうだが
実は今話題のあのメーカーだったりする。
とても苦しい状況らしいのは知っているので
この前Tちゃんの無償安心点検に行った時に
仲の良い某店の店長でもある担当営業に会って少し話した。
自分が今使っている営業車は購入後5年以上経っていて
走行距離も18万キロを過ぎた状態だった。
まだまだ乗れるのは間違いないのだが
そろそろ会社に代替をしてもらうように
まもなく起きるであろう機械的な問題や
経年劣化的な技術的な入れ知恵を
いろいろと担当営業に教えたのだ。
まだまだ彼よりは詳しいからね。
そして今日彼が会社に行って来たと電話をくれた。
無事に注文を貰えたのでありがとうと言っていた。
どういたしまして、得するのは自分だけなのさぁ。
感謝するなら紹介料でもちょうだいな。
無償修理。
2004年10月6日その後休みが無く疲れきって寝てしまう毎日。
天気もずっと悪かったのでバイクに乗れない日が続いた。
そんな時Y社からバイクの無償修理の葉書が届いた。
不具合が見つかったので販売店で直してねって。
そして今日ちょうど半日で仕事が終わったし
久しぶりに太陽が出てきたので
バイク屋さんに電話して早速持ち込むことにした。
自分のバイクがこの店で初めての修理ということで
時間がどれくらい掛かるか分からないと言われたけれど
お店でコーヒーをご馳走になったり
奥さんとお話したりしながら待つこと1時間弱。
割と待った感覚もなく出来上がった。
そのまままっすぐ家に戻っても良かったけれど
まだ明るい時間だったので前にも行った信夫山の某所に行った。
そこは少しだけ駐車場から歩くけれどとても見晴らしの良い所で
福島市の中心部や自宅の方向が良く見渡せる。
自分の住む街を写真に撮っておこうと来てみたのだ。
前にも一度撮ったけれどいまいちだったから・・・。
自分が居る間にも何人か来たけれどみんなは何しに来るのだろう。
平日なのに写真を撮るわけでも無いみたいだし。
気晴らしかな?
日の出。
2004年9月18日午前2時半、目覚ましの音で目が覚めた。
以前から考えていた日の出撮影に行くため早起きしたのだ。
顔を洗ったり準備をして3時には出発することができたが
この時間はさすがに車がほとんど走っていないので
目的地の相馬にはコンビニに寄っても4時半前には着いた。
まだ水平線は暗いままだった。
コンパス片手に日の出の位置を確認しながら
ちょうど良い場所を探して少し走った後
とある浜辺に決め準備を始めた。
と言っても三脚とカメラを用意するだけだが。
日の出時刻まで少し時間があったので
車の中で休んでようかと思っていたが
気が付けば思いのほか早く水平線が明るくなってきたので
休憩もそこそこに浜辺に立った。
明るくなり始めると太陽の動きは以外にも速く
カメラの角度や設定をいろいろと変えながらひたすら撮っていた。
そしてやがて太陽はすっかり周りの景色を明るく照らし
自身も赤から白にその色を変えていた。
そしてそのころには多くのサーファー達が海へと入っていった。
夢中で撮ったけれど初めてで出来上がりには不安があるが
それは帰ってからのお楽しみということにして
とりあえず場所を変え買っておいたパンを食べて休むことにした。
少し仮眠をしたが約2時間ほどで目が覚めた。
後は特別用もないしお店もまだ開いてない時間なので
のんびりと我が家へ帰ることにした。
帰りもスムーズに走れて10時には家に着いた。
そしてすぐにパソコンで撮った写真を確認したら
いくつか気に入った写真が撮れていたのでそのまま印刷して
写真が好きだった父の仏壇に供えてあげようと思い実家に持って行った。
供える前に母に見せたら「芸術写真じゃ無いんだね。いまいち・・。」
みたいなことを言われショックを受け一気に沈んだ。
せっかく朝早く出掛けて撮ってきて自分では気に入っていたのに
浮かれていた気分はすっかり深海の奥深くに沈んだ。
昔からそうだがいつでも母の言葉は自分を傷つける。
褒められたことなんか一度も無いよね。
それでも父の仏壇には写真を供えたけれど悲しかったので
すぐに家に帰ってきて泣きながらあんこ餅を食べた。(なんだそれ)
滑川大滝。
2004年9月12日先週のお出掛けですっかり腰を痛めたので
今週はヨボヨボのじいちゃん生活をしていたが
一週間ずっと安静にしていたので
そろそろ良いかな?と思って出掛けてみた。
福島県と山形県米沢市の中間にある滑川温泉へ。
途中のコンビにでおにぎりを買ってお昼前に出発。
まずは板谷から五色温泉へ上っていった。
以前はここから滑川温泉への林道があったのだが
土砂崩れなどで通行止めになっていた。
仕方が無いので来た道を戻って板谷まで下りて
ちょうどお昼になったので景色のキレイな川原で
お昼ご飯を取りのんびりと一休み。
それからまた移動を始めて滑川温泉に向かうが
日曜日だからか狭い林道なのに結構車が通る。
着いた温泉の駐車場も一杯だった。
ここから歩いて20分ぐらいの所に
滑川大滝があるので行ってみることにした。
だが山道を歩き始めて10分ぐらいで
すでに登りの辛さに足がプルプルいっている。
でもゆっくりとだが頑張って登りきったよ。
すると眼下に滑川大滝が見えたが谷間なので
すでに日が当たらなくなっていていまいち良く見えなかった。
さらにここから川原まで下りることも出来るが
足がプルプルしているのでやめて戻ろうと思ったところ
ちょうどお嬢さんが下りていったのでつられて
フラフラと滝のある川原の方へ下りていってしまった。
長い時間を掛けてガクガクプルプルしながらも
下まで行ったが結構大きな滝だね。
初めて来たけれどなかなか立派なもんだよ。
でもやっぱり日陰だったのでうまく撮れないかも知れないけど
せっかくだからパチパチと何枚も写真は撮っておいた。
帰ってパソで見てみないとうまく撮れたか分からないな。
撮り終えた後、足の疲れを取るためにしばらく滝の前で
15分ほどのんびりと過ごしたがちょうど誰も居なくなったので
とっても静かだった。生き返るなぁ。
でも結局帰りはまた死んだけどね。
だって山をひとつ越えたのと同じだから
運動不足&体力無し&根性無しにはかなりきつかった。
紅葉の頃、再挑戦するかはビミョーだな。
だんだん陽も傾いてきたから急いで近くの姥湯にも足を伸ばした。
ここは秘湯と言われているほど山奥で
周りには本当に自然しか無いところ。
でもお客さんはここも一杯来ているようだ。
露天風呂は4時までで入れなかったからまた今度来てみよう。
今度は午前中に着くようにね。
迷路。
2004年9月6日今日は久しぶりに雨が上がったのと
タイミング良く休みだったので林道へ行った。
景色の良いところを探しながら走っていたら道に迷ってしまった。
まぁ正確には道に迷ったというより
行くところ行くところ行き止まりで行ったりきたり。
ほとんど人や車が通らないので木が倒れていたり
雑草で道が消えていたりして通れなくなっている。
なので砂利道ばかり80キロも走ってしまった。
そしてそれからさらに40キロほど舗装路も走ったので
すっかり腰が痛くなってしまった。
薄いシートなのでお尻も痛くなっちゃったし。
うぅ、辛い・・・。