熱。
2004年5月12日仕事中、午後からなんとなく気持ちが悪くなった。
夕方にはかなり気分が悪くなったので
普段なら距離的に国道で帰る客先から高速道路で帰った。
帰宅後すぐに熱を測ったら37度を超えてまだまだ上がりそう。
近所の薬屋で風邪薬を買って飲んだが
とうとう6時頃には38度を超えていた。
気持ちが悪くて夕食などとても食べられないし
第一作るのも買いに行くのも無理そうなので
7時には布団に入って寝てしまった。
と言っても辛くて何度も目を覚ましたけれど。
明日は同僚が眼科に行くというので
自分ひとりで仕事をこなさなければならない。
休みたいけど休めない。
大丈夫かな。
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お骨。
2004年5月10日福島市はごみの焼却場でペットの火葬もしてくれる。
代金は払わなくちゃだがちゃんと骨壷に入れてもくれる。
ごみと一緒でいやだと思う人もいるかも知れないが
他の自治体はごみと一緒に燃やされてそれでおしまい。
それを思えば家に戻ってくるだけありがたいと思う。
先週死んだ実家の野良猫が帰ってきた。
小さな骨壷に入って父の隣に並んでいる。
いつも縁側でひざに抱いてなでていたので
また一緒にいられて父も喜んでるかも知れない。
仲良く成仏してくださいな。
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旅行記2日目。
2004年5月7日疲れからか夕べは早く寝たせいもあり
目覚ましもセットしないのに4時には目が覚めた。
少し開けたカーテンの隙間から見える外は
まだ薄暗いが日の出が近いのがわかるくらいだ。
昨日行った展望台から日の出を見ようと
すぐにベッドから起きようとするが
金縛りにあったのかロープでも縛られているのか
手足が全く動こうとしない。
うぉぉ、これはいったいどうしたんだ!
と焦りながらも気を落ち着かせるために瞼を閉じたら
いつの間にか太陽は高く昇り朝食の時間になっていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
早い話、起きられなかった・・・・。
いや、正確には目は覚めたんだけど二度寝してしまったのだ。
まぁこんなもんだね・・・・。
ゆっくりと朝食をとり9時前には宿を出発して
まずはすぐ近くの「浄土ヶ浜」に向かった。
ここはバスやタクシー・身障者の車以外は近くまで行けないので
離れた駐車場に車を停めなければいけない。
地図で見たら第三駐車場が一番近そうなので
そこに車を停めて案内板を見たら徒歩で17分と書いてあった。
楽勝だね!と言いながら二人で歩き出すが
次第に下り坂が急になって曲がりくねっている。
そして木々の隙間から見える海を見下ろすと
かなりの標高を歩いて下りなければいけないようだ。
結構大変かもと思いながらも歩いて下ると
思いのほかすぐに浜にたどり着いた。
何だ、やっぱり楽勝だね。
今日も観光客がほとんどいないので
静かな浜辺や岩場でまったりと時間を過ごした。
今まで太平洋側の海は汚いというイメージを持っていたが
ここは浜辺も海水もすごく綺麗だった。
ちょっと感動だね。
写真を撮ったりしながら岩場を良く見てみると
水たまりにヤドカリと一緒にウミウシ(?)を見つけた。
実物は初めて見るが引き潮に取り残されたのかな?
これもちょっと感動だね。
時間になり、じゃあ行くか?と元妻に言うと
あそこにバス停があるよと言う。
近寄ってみると駐車場を経由して駅まで行くバスだった。
何だよ、あれぐらいの坂、歩いて行けよ!
せっかく自然を堪能しに来たんだからさぁ。
などとポン吉が言うはずもなくバス停に並んだ・・・。
バスであっという間に駐車場に着いて
次の目的地「龍泉洞」に向かって車を走らせる。
途中の岩泉町の道の駅「わくわくハウス」では
「龍泉洞の水」と「龍泉洞珈琲」を箱で買い
そしてそのまま「龍泉洞」に到着。
チケットを買い早速入ると洞内はさすがに肌寒かった。
持って行った上着を着てちょうど良い感じだ。
薄暗い洞内は適度にライトアップされているが
雰囲気を壊さないように最小限にしてあるようだ。
ちゃんと考えてあるんだね。
でもひとつだけ気になった事があった。
それは観光客が入れた数多くのお金。
1円玉5円玉10円玉などいろんな場所に投げ込んである。
どこにでも馬鹿はいるもんだが
こんなところお賽銭をする奴らの気が知れない。
こんな自然のすばらしさや美しさを見せる場所、
そして自然の大切さや神秘さを実感できる場所に入れるなんて。
何よりせっかくの綺麗な水質が変わる可能性だってある。
お金が余ってるなら募金箱にでも入れろってんだ。
洞内には何箇所か案内板があって
階段が辛い方はここで出るか引き返すように書いてある。
でもせっかく来たんだからと頑張って
急な階段を何度も上り下りして全部見て回った。
そして出口に着く頃には足がヘロヘロになっていたので
洞内を出てから売店で串餅を食べて一服。
ふぅ〜、落ち着いた。
道路向かいの「龍泉新洞科学館」も見てから出発し
最終目的地の盛岡市に向かった。
途中の早坂峠でまた串餅を食べたりお土産を見たりして休憩。
盛岡に着いたのは4時ごろになっていた。
盛岡といえば「わんこそば」が有名で
もちろん今回もそれが目的だった。
自分は以前食べたことがあるが元妻は初挑戦らしい。
きっと地元の人は他の美味しい店を知ってるだろうが
福島県人が知るはずも無くガイドブックに出ていた「直利庵」に。
二階に通された部屋は時間もずれているので貸切状態。
待つことしばらくして準備は整った。
前掛けをしていよいよ開始。
お姉さんの「じゃんじゃん」の掛け声で
次から次に椀の中に蕎麦が放り込まれる。
元妻は薬味を入れたりしていたが
自分はあまり薬味を入れずにひたすら食べた。
元妻がギブアップしてからも頑張って食べるが
こみ上げてきそうな気配を感じとうとう自分もギブした。
マッチ棒を使って食べた椀の数を数えていたが
途中で脳みそが溶け出してわからなくなったので
大体65杯から70杯ぐらいだと思う。
男性にしては結構少ないのではと思うが
年取ってるのでしょうがないでしょ。
でも昔食べた団体向けの食堂より全然美味しかったし
満足満足・・・・。ゲップ。
全ての予定が終わったので後はまっすぐに帰るだけ。
満腹で眠くならないように何度かSAで休憩して
福島に着いたのは8時過ぎになっていた。
あ〜疲れた。ご苦労さんでした。
またどこかに行きたいなぁ。
本日の走行距離 約440Km
所要時間 約12時間
撮った写真 163枚(2日間)
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旅行記1日目。
2004年5月6日今回の旅行には元妻の乗用車を使うことになっている。
約束通りに朝7時に迎えに来たので荷物を積み込み
ちゃっかり助手席に座ってすぐに出発したが
10分ぐらい走ったところで元妻に聞かれた。
「デジカメ持った?」
ウゲッ! わ、忘れた・・・。
せっかく忘れないように枕元に置いたのに
枕に隠れて見逃してしまった・・・。
でも嫌みを言われながらも無視して引き返すように指示!(強気)
30分は無駄に走ってしまったな。
高速道路は特に連休のような渋滞も無く
休息をとりながらも2時間ほどで水沢ICに到着。
まずは江刺市の「亀の子煎餅」を買いにいった。
その名のごとく亀の形をしている胡麻煎餅なのだが
自分は団子でも何でも結構胡麻好きなので
見た目は真っ黒だけど美味しく食べた。
実家のお土産にも一箱買ったよ。
次は元妻のリクエストで「えさし藤原の郷」に行った。
時代劇は見ないし歴史も苦手なのだが
それなりに楽しめたかな。
なんと言っても観光客が全然いないのが良い。
写真を撮っても誰も写らないし
所々にいる案内のお姉さんも丁寧に説明してくれた。
でも昨日まではきっとすごい人出だったんだろうな。
お腹が鳴っていたので駐車場のレストランで昼食を食べ
すぐに以前仕事で行った遠野市に向かった。
途中で寄った「道の駅 遠野 風の丘」では
以前食べたお団子が食べたかったのだが
あいにくお団子屋さんはお休みだった。ガクッ。
お餅やお団子が大好きなのに・・・シクシク。
がっかりしながらもあるアイテムを手に入れるために
遠野駅の中にある観光案内所に来た。
そのアイテムとは「カッパ捕獲許可証」
この後カッパ淵に行くので手に入れるために来たのだ。
いや、別に無くても行けるのだが
せっかくだから雰囲気だけでも盛り上げなくちゃね。
無事にアイテムの入手にも成功し(150円だし・・)
ついでに近くの饅頭屋で醪饅頭(さかまんじゅう)も買って
カッパ淵に向かった。
カッパ淵の前にすぐ近くの「伝承園」へ寄った。
入ってすぐに花と空と建物が良い感じだなと思って
写真を撮ったらそこはトイレだった。おや、まあ。
気を取り直して何カ所か写真を撮ったが
予想より敷地が狭くてすぐに見終わってしまった。
なのでお土産を物色することにした。
ここで今回誘ってくれたお礼もかねて
元妻にカッパのマグカップを買ってあげた。
自分も気に入って買ったのでお揃いになるけど。
ガイドブックで気になっていた「けいらん」という食べ物を
売店の食堂で食べてみた。
見た目はそのまんま鶏の卵のようだが
お椀にお湯と一緒に入っている。
食べてみた感想は「・・・・。」
美味しいけどもっと違う食べ方があるんじゃ無いかな?
お店に長く居すぎたので時間を気にしつつ
カッパ淵に向かって歩いた。
お寺の境内を抜けた裏手がカッパ淵と呼ばれている所だった。
他の観光地と同じくここも観光客が居なかったので
静かな雰囲気を味わう事が出来てゆったりした気分になる。
そしてしばらく水面を眺めたり写真を撮ったりして過ごした。
ん?ところでカッパはどこかな?
許可証あるんだけど・・・。今日は外出中?
結局、カッパは捕獲できなかったが
時間も無いので急いで今日の宿「国民休暇村 宮古」へ。
電話をしなくちゃならない時間ぎりぎりに到着。
何とか間に合ったね。
チェックイン後、部屋に案内してくれた人に
日の出の時間を聞いてみた。
せっかく太平洋を目の前にして泊まるのだから
朝日の写真を撮ろうかと思ったから。
「明日の日の出は何時ですか?」
「4時半です!」
「・・・・。」
さてと、お風呂と夕食の前に散歩でもしてこようかな。(現実逃避)
歩いて数分の断崖の上に展望台がある。
ウミネコがいっぱいいる岩場と太平洋を見ることが出来た。
明日の朝はここから日の出を見ようかな。
夕食はバイキングだったが味はそこそこという感じ。
お風呂はとても広くて貸し切り状態だったので
ゆったりと入ることができた。
結構疲れたから早く寝よっと。
本日の走行距離 約330Km
所要時間 約11時間
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火葬。
2004年5月4日実家で飼っていたと言うか居ついていた野良猫が死んだ。
なついていたので毎日餌をあげたりしてかわいがっていたのに・・。
家族全員、がっくし。
休みが明けたら火葬にしてもらおう。
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旅行。
2004年5月2日5月の連休中も腰の痛みを我慢しつつひたすら働いている。
仕事が好きでやってる訳じゃないけれど
働いているときは気が紛れるから良いかもしれない。
でも他人から見ると外見的にはかなり暗いらしく
先月末にとうとう元妻が言ってきた。
「背後霊でもいそうな感じに見えるよ。
なにか知らないけど気晴らしにどこか行かない?」と。
今までだったらおそらく断っていたが
6日・7日は休みだし今回はなんとなく承諾した。
どこか行きたいところはあるのかと聞かれたが
とっさには思い浮かばず「考えてみる」と答え、後で連絡することにした。
そして翌日、以前仕事で行った遠野市や龍泉洞が見たかったから
岩手県に行きたいと電話で伝えた。
すぐに元妻が宿の手配などをしてくれて
あっという間にスケジュールが出来た。
腰が痛いままなので長距離の運転が大丈夫か不安だが
どうなるかは行ってからのお楽しみだな。
最悪の場合は運転を代わってもらおう。
と言うことで6日と7日は出掛けてきます。
天気が良いかな?
涙腺。
2004年4月24日欲しい本があったので本屋さんに行っていろいろと見ていたら
子供の本がある辺りで女性の大きな声が聞こえた。
行ってみるとお店の一部の床に座れるようにしてあり
一番奥で女性が絵本の読み聞かせをしていた。
定期的に行われている会のようで
小さな子供を連れた家族連れが何組も座って聞いていた。
お話はなにやらおにぎりが競争をしている物語のようで
とても上手に読んで子供達に聞かせていた。
すると一生懸命おにぎりが競争している部分で
子供達が「がんばれぇ!」と声をかけた。
そして順位が決まった所では「おめでと〜ぉ。」と。
その瞬間なぜか胸が熱くなり目頭にうるうるときてしまった。
慌ててその場を離れ急いで家に帰ったが
いったい何に反応してそうなったのか自分でも分からなかった。
絵本を読んでいる姿に以前の事を思い出したのか、
それとも子供に対して反応してしまったのか
とても不思議な感覚だった。
家に戻ってからは録りためた海外ドラマを見始めた。
主人公の一人が病院のベッドに横たわった恩人の手を
握るシーンを見たとたん入院中の父の手を思い出し
またもうるうると涙が出てきてしまった。
今度は理由がはっきりしているからいいものの
一日に何回も泣いてたんじゃしょうがないね。
いったいどうしちゃったんだろう・・・。
自転車。
2004年4月20日父が入院するまで使っていた自転車を先週修理に出していたので
今日のお昼頃Tちゃんで取りに行った。
ずっと使ってなかったからタイヤの空気が前後ともに抜けてて
全体的にも汚れていたけれど、戻ってきたらキレイになってた。
ここの自転車屋さんは最近代替わりしてお店を改築したが
なかなか品揃えも値段もがんばってるみたいで
昔にくらべればけっこうお客さんが来ていた。
やっぱり企業努力しなくちゃ駄目だよね。
家に帰って早速自転車でコンビニまで行ってみた。
歩いても五分とかからないほど近所なのに
今までは車で行ったりしていたから・・・。
そしたら少し風が強かったせいもあり体力の無さを実感してしまった。
風に負けてしまいスピードがなかなか出ないのだ。
このまま年老いていくだけなんだから困ったね。
でももうスポーツクラブも辞めてしまったし
身体もあちこちガタが来てるからしょうがないね。
無理しないで時々乗ろうっと。
食事。
2004年4月17日今日と明日はお休みになった。
去年から休日は出掛けないし動かないので
あまり食事の量は食べないようにしている。
毎回前日にバターロール一袋(6個入り150〜180円)を
買ってきて朝に3個、昼に3個食べて過ごしている。
バターの味はするから何も付けないしほかには何も食べない。
だから夕方にはお腹がグーグーいっている。
夕飯は実家に行って母と食べているので
美味しいご飯もおかずもあるから日中はこれで十分。
もうすっかり自炊することもなくなってしまったし
小さい冷蔵庫も空っぽのままだ。
台所はすっかり野良猫さん達に占領されてるし。
今度台所で料理するのはいつのことなんだろう。
無意味。
2004年4月10日あれから笑わなくなってしまった。
怖くて誰とも話さなくなってしまった。
人に会いたくなくて家を出なくなった。
もう会社や周りの人からも変に思われてるし。
きっと一生こんな生活なんだろう。
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選択。
2004年3月31日他人を傷つけるのと自分を傷つけるのとでは
どちらが痛いですか?
他人を信じるのと自分を信じるのでは
どちらが難しいですか?
他人の命と自分の命では
どちらが大事ですか?
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屋上。
2004年3月27日某工場の屋上での仕事だったので
準備を済ませ屋上に客先担当者と一緒に上がった。
エレベーターで5階まで上がり屋上までは階段で。
扉を開けるともの凄い風で飛ばされそうだし
地上と比べてかなり寒かった。
「誰か飛び降りそうな人が来たら止めてくださいね。」
担当者は冗談で笑いながら言った。
同僚たちも笑いながら答えていた。
でも黙ってうつむき笑えない奴がいる。
楽になりたい・・・。
でも無理だろうな・・・。
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移転。
2004年3月20日サーバーの容量不足のために掲示板とフォト日記を移転した。
そのうちHPも移転しようと思っている。
でもしばらく更新してないから作り方忘れちゃったな。
こりゃ時間がかかるぞ・・・。
納骨。
2004年3月14日父をお墓に納骨することができた。
墓地が山にあるので母の調子が悪いのと
天気の関係で延び延びになっていたのだ。
お彼岸を前に済ませる事ができてホッとしたな。
今日は天気が良く梅の花もすこし咲いていたので
父もさぞかし気分良く入れただろう。
おばあちゃんと親子水入らずで過ごしてね。
まだ先のことだが母もいつかは入るだろうし
そしたら自分も入るから待っててね。
わかりました。
2004年3月11日鬱陶しいのももう終わりです。
すっきりしましたか?
私はとても悲しいです・・・。
「連絡の取れていた人がいきなり
メール送れなくなったりしたら、
半端じゃないくらい悲しむ。」
と貴方自身が言ってたのに・・・。
はっきりと理由もわからないまま、さよならなんて。
もちろんいくつかの理由は想像できるけど
どれが答えかわからないし
いつまでも答えを探してしまいます。
私はもうとっくに過去の人なんでしょうけれど
私はいつまでもその過去の中で生きていて
立ち直ることはできません。
ここに書くことが迷惑なのはわかっているけど
他にないから・・・。ごめんなさい。
短い間だったけれどありがとう。
さようなら。
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体重。
2004年3月7日パソコンが直ったにもかかわらず
すぐに一週間の出張に行ったため
さっきようやく相互の方の日記を読み終えた。
一ヶ月近く見ないと結構すごい量だな。
今回の出張は山形県東根市。
もう何回も行っているので宿も常連さんだ。
毎回のことだがこの宿の料理はボリューム満点で
小食の自分には苦痛なほど多い。
だけど残すのは悪いので無理にも完食しているが
さすがに今回は一週間なので辛かった。
何回も残そうかと思ったほどだが
結局朝晩完食してしまい最終日には恐ろしい結果に!
最後の晩、お風呂に入った時に体重計に乗ったら
見たこともない数字が表示されていた。
ぷよぷよと言うかぷくぷくと言うか・・・。
まぁ毎日たくさん食べたのは勿論だが
残業もせずにまだ明るいうちに宿に戻り
温泉三昧していたし、普段はしない晩酌や
コンビニで買ったお菓子を食べてたのだから
当たり前と言えば当たり前なのだ。
さてこれからはしばらく絶食でもするか?